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呼吸をすることは生きることと同意義である。 そのことは当然であることは誰しも認めることだろう。 吐き続けることもできなければ、吸いつづけることもできない。 だが、経済についてそれと結びつける人は極めて稀である。 経済を、人の活動のマクロ版と考えるなら、そこに思い至るのは当然のことである。 大の中に小があり、小の中に大がある。 それは人の体でも同じである。 今では、クローン技術の発達から、一つの細胞に生命体を司るすべての情報が入っていることは知られている。 陰陽道の太陰大極図では、陽だけも無ければ、陰だけも無いことを表している。 陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず。 今の資本主義経済は、膨らみ続けなければ成り立たない仕組みになっている。 採算がとれなければ融資を得られず、利益がでなければ潰れてしまう。 つまりは取ったり取られたりのいたちごっこで加速度的に無駄に忙しくなってしまう。 まぁそうなってしまうのは、人よりもっと多く、より便利に、という価値観に縛られているからなのだが。。 資本主義経済がこのような仕組みである以上、いずれ崩壊するのは明白である。

今朝の新聞で一ドル90円台、平均株価七千円台と見出しにあり、危機感を煽るようなことが書かれていた。 私は言いたい。 円高株安大いに結構、そんなことを心配するくらいなら食料自給率のことを心配しろ! 今に食えなくなって株だ為替だなんてこと口にできる元気もなくなっても知らないぞ、と。 今、円高、株安になって経済が収縮することは理に適ったことなのである。
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一番大事なことは何か? 判っているようで判っていない事に気づいた。 頭では「お金より大事なものがある」と分かっていても、まずお金がないと話にならないと思っている低次元の自分がいる。 お金は二義的な存在である。 最初からあるものではない。 今日を振り返ってみると、お金に関するくだらないことに結構時間を割いていたことに気づいた。 もし本当に真剣に生きているのなら、小手先の知識や技術を求めたりせずに、真の喜び溢れる生活を実現するために想像力を働かし、そのための情報を集めていたはずだ。 
もし神が完全ならなぜ世の中は不幸や病気、様々な苦しみに満ちているのだろうと小さいときから常々考えてきた。 しかし、もし最初から不幸、病気その他ネガティブなものが全くなかったら、幸せや喜びを感じることはできないだろう。 だから、もし失敗したり思うようにいかなかったりしても、すべてに感謝することが大事だと思う。 失敗は喜びを感じるためにあると思えば良いのだ。 今では、神とは光と闇を含めたすべてだと思うようになった。 

新時代は、今までのネガティブなものすべてが浄化され、歓喜のみの世界に移行する。 人が神となる時代である。 それが元からの仕組みである。 なぜなら神は歓喜そのものであり、人はそれを体感するためにこの世に生まれてきたからである。
最近のキーワードの「アセンション」について思っていることを書いて見る。 一般的に言われているのが、2012年に地球の、ひいては宇宙的イベントとして、次元上昇するというのがそれである。 私は、自分自身の成長、価値観の大転換そのものがアセンションだと思っている。 アセンションを信じず、認めない人にはアセンションは存在しない。 なぜなら、人はそれぞれ認めただけが世界であるからだ。 だから究極的にはアセンションの起こる起きないは人それぞれだと思う。 しかし、もし自分自身の内面において短期間で信じられないぐらいの価値観の大転換が起こったなら、それは自分自身の潜在意識で地球自体の変化を受けとっているのかもしれない。 すべては一つであり、互いがつながり合っているということが真実であれば、地球の次元上昇によって地球に存在できる人とできない人に分かれるのは明白であろう。

資本主義とは、人間の欲望の表れである、お金が元で成り立っている。 今まで私たちが現実だと思っていたお金を本とした世の中が、実は生態系に対する搾取によって成り立っていると気付く事が、まず我々が打ち破らなければならない壁である。 しかし大多数の人は、お金というものがあまりにも身近すぎて、おかしいと思うことさえ困難な状態にある。 おかしいことはおかしいのである。 そのことを冷静に見つめ、深く天地に詫びることから始めなければならない。
現代社会は幻想で成り立っている。 名誉や肩書きなどの自然界にはなく実体がない物に価値があると信じ、造り上げたのが今の社会である。 幻想から覚めた今は、それら実体のないものではなく、実際の行動でしか喜びを感じられなくなっている。 道は神であり、神は道である。
都会には何もない。 あるのは唯、人間という経済動物だけである。 昔人間の事を人と言った。 人とは霊止の事である。 霊が宿っている聖なる存在を人と表したのだ。 自分は人間という言葉が好きではない。 実体がよく判らないからである。 会社人間は可哀想である。 日々の雑務に忙殺されて、小鳥のさえずり、木々のざわめき、虫の音、ひっそりと咲き誇る美しい花などに気付かない。 
今までの時代は結果を出すことに重点を置かれてきた。 何故かというと人々の欲望が、結果を求めるからである。 結果が出せれば名誉が得られる。 地位が得られる。 金が得られる。 その結果人々の心は今になく、幻想の未来に生きることになった。 他人の事はおかまいなしに自分の事だけ考える人が増え、思いやりの心が消え、人と人との間はぎくしゃくし、上面だけを飾り、真心が失われた。 

過程を楽しむことは「今」を楽しむ事だ。 結果を気にして生きるより、全身全霊をもって今を楽しもうではないか!
ニートとは新人の別称である。 今までの価値観ではとにかく外に目を向ける(外向性)事が重視されてきた。 しかしその結果はどうであろうか? 何も考えず、欲望の赴くまま進め進めで来た結果が、今の環境破壊であり、人心の荒廃、分離をもたらしたのである。 人がすべきはただ一つ、本然の自己に還ることのみである。 人は自分で生きているのではない。 神によって生かされているのだ。 そこに気付く時、必然的に心のベクトルが自己の内部に向かう。 そして本当の感謝ができたとき、真の生活が始まるのだ。
多いより少ない方が良い。 競馬でも何レースも賭けるよりは、少ないレースにエネルギーを集中させる。 結局競馬は、量ではなくクオリティの勝負なのだ。 競馬にポートフォリオは通用しない。 株はやった事はないが、いたづらにポートフォリオを組んで偽りの安心を得るよりは、ひとつの会社を徹底的に見極めて一蓮托生の気持ちで投資した方が結果はだせるのではないか? 少ない方が、管理も楽である。

最近は便利になったというが、いったい便利とは何だろうか? 交通手段が昔は徒歩や馬だったのが、今は電車に車、飛行機と、目的地まで早く行けるようになったのは確かである。 だがその代わりにやたらと忙しくなっただけではないか? 今では分単位で行動するのが当たり前になっている。 考えてみれば電車は乗り換えが面倒だし車は渋滞がついてまわる。 電車に乗り遅れるたびに焦り、車で渋滞に巻き込まれれば不快になる。 いったい人は何を求めているのだろうか?
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誕生日:
1985/08/07
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遊び人
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登山
自己紹介:
競馬で生計を立てています。 目標は、自給自足。
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