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資本主義とは、人間の欲望の表れである、お金が元で成り立っている。 今まで私たちが現実だと思っていたお金を本とした世の中が、実は生態系に対する搾取によって成り立っていると気付く事が、まず我々が打ち破らなければならない壁である。 しかし大多数の人は、お金というものがあまりにも身近すぎて、おかしいと思うことさえ困難な状態にある。 おかしいことはおかしいのである。 そのことを冷静に見つめ、深く天地に詫びることから始めなければならない。
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現代社会は幻想で成り立っている。 名誉や肩書きなどの自然界にはなく実体がない物に価値があると信じ、造り上げたのが今の社会である。 幻想から覚めた今は、それら実体のないものではなく、実際の行動でしか喜びを感じられなくなっている。 道は神であり、神は道である。
都会には何もない。 あるのは唯、人間という経済動物だけである。 昔人間の事を人と言った。 人とは霊止の事である。 霊が宿っている聖なる存在を人と表したのだ。 自分は人間という言葉が好きではない。 実体がよく判らないからである。 会社人間は可哀想である。 日々の雑務に忙殺されて、小鳥のさえずり、木々のざわめき、虫の音、ひっそりと咲き誇る美しい花などに気付かない。 
今までの時代は結果を出すことに重点を置かれてきた。 何故かというと人々の欲望が、結果を求めるからである。 結果が出せれば名誉が得られる。 地位が得られる。 金が得られる。 その結果人々の心は今になく、幻想の未来に生きることになった。 他人の事はおかまいなしに自分の事だけ考える人が増え、思いやりの心が消え、人と人との間はぎくしゃくし、上面だけを飾り、真心が失われた。 

過程を楽しむことは「今」を楽しむ事だ。 結果を気にして生きるより、全身全霊をもって今を楽しもうではないか!
ニートとは新人の別称である。 今までの価値観ではとにかく外に目を向ける(外向性)事が重視されてきた。 しかしその結果はどうであろうか? 何も考えず、欲望の赴くまま進め進めで来た結果が、今の環境破壊であり、人心の荒廃、分離をもたらしたのである。 人がすべきはただ一つ、本然の自己に還ることのみである。 人は自分で生きているのではない。 神によって生かされているのだ。 そこに気付く時、必然的に心のベクトルが自己の内部に向かう。 そして本当の感謝ができたとき、真の生活が始まるのだ。
多いより少ない方が良い。 競馬でも何レースも賭けるよりは、少ないレースにエネルギーを集中させる。 結局競馬は、量ではなくクオリティの勝負なのだ。 競馬にポートフォリオは通用しない。 株はやった事はないが、いたづらにポートフォリオを組んで偽りの安心を得るよりは、ひとつの会社を徹底的に見極めて一蓮托生の気持ちで投資した方が結果はだせるのではないか? 少ない方が、管理も楽である。

最近は便利になったというが、いったい便利とは何だろうか? 交通手段が昔は徒歩や馬だったのが、今は電車に車、飛行機と、目的地まで早く行けるようになったのは確かである。 だがその代わりにやたらと忙しくなっただけではないか? 今では分単位で行動するのが当たり前になっている。 考えてみれば電車は乗り換えが面倒だし車は渋滞がついてまわる。 電車に乗り遅れるたびに焦り、車で渋滞に巻き込まれれば不快になる。 いったい人は何を求めているのだろうか?
老子、荘子の特徴を一言で言えば、増やすより減らせということである。 自分も、日々何かを得ていくのではなく、日々捨てる生き方を心がけたい。 捨てるものとは、思い込み、名誉心、傲慢な心、小さな我、小さな欲、など。

それらをすべて捨て、生まれ赤子の心になったときに豁然と現れるもの。。
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プロフィール
HN:
ぺんぎん
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1985/08/07
職業:
遊び人
趣味:
登山
自己紹介:
競馬で生計を立てています。 目標は、自給自足。
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